近づいた内供の心花粉症

鈴木豪人 静岡県立二俣高等学校二年

「内供」は禅智内供であろう。芥川龍之介の「鼻」で有名。花粉症の者とって、花粉の季節は鬱陶しかろうが、その恨めしさを、不自由な鼻に煩わされた説話上の人物への共感に転じたところが洒落ている。粋な一句。(瀬戸)

幾たびと袖擦れ合って世間知る

志賀えりか 福島県立郡山高等学校二年

「袖振り合うも多生の縁」という諺をふまえた作であるが、仏教的な輪廻転生思想をもとにした原意ではなく、袖擦れ合う程度の出会いと別れの繰り返しにより、世間の人情や習慣を知り、成人していくのだと納得し、世俗に順応する姿が伺える。(繁原)

風遊び陽に見守られ花は散る

紅林裕亮 島田実業高等専修高等学校二年

散る花はしばしば死の象徴であった、しかし、ここでは、例えば楽しげな子供の印象がある。風と陽という素材の処理が、そうした創造的な転換を可能にしたのである。なお、風遊びは、風と遊びとした方がいいだろう。(平井)

冬の朝ポケットの中はもう四月

片平睦子 静岡県立清水東高等学校一年

ポケットの中にはクッキーがという歌があるが、厳しい状況の中にも自分の楽しみをもつ人間の営みがよく表れている。(巻口)

写真立てあふれんばかりの仲間たち

桃井理子 加藤学園高等学校二年

レンズの中に収まろうとはしゃぎながら肩を寄せ合った仲間たちの一瞬が、その時の高揚感や連帯感と一緒に伝わってくる。それが大切なのは、もうこうして皆で会うことはできないからだろう。(小野田)

天に向け我が先だとつくしかな

手塚健斗 静岡県立立富岳館高等学校二年

「我が先だ」の表現から、つくしが群生している情景が想像できる。作者自身の心にも、向上心があるからこそ、競うように天を目指しているように見えるのではないだろうか。「空」ではなく「天」を選んだところにも、目標が意識されているような力強い感覚が伝わってくる。(宮本)

夕立にぶたれる地蔵修行のよう

渡井真代 静岡県立富岳館高等学校二年

雨中の地蔵の佇まいを「修行」と解釈したところが興味深い。地蔵の様子を観察する読み手の側もまた、傘を持たずに雨に打たれているのだろう。そこから現状に耐える様子が想像され、思わずエールを送りたくなる。(大場)

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